生活

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読書とは

読書の目的は何か? また本をどう読むべきか?

 そもそも読書とは文字を読む行為であり、あくまで手段である。そして書籍とは手段に用いる道具である。読書自体に良いことだとか、行動するほうが大事だとか価値判断を持ち込むのは間違っていて、目的次第で良くも悪くもなる。 本という道具の用い方は読み手次第だ。 したがって目的を考える必要がある。

一口に本といっても、専門書や新書といったノンフィクションと、小説や物語のフィクションの2つパターンがあると思う。

新書は

1 知識の獲得のため

2 知識の使い方を学ぶため   と考えられる。

 知識とは何か(what)を知っているということだ。そして、知識は考えても自分で生み出せないから、学ぶしかない。ただ事実としてあるものであるため、最良で明確な答えが存在する。(現在答えが判明しているかはさておき) したがって、誰でも到達できるもので、再現可能性もある。

一方知識の使い方とは、Howにあたり、人によって異なる。どう使うかによって、何を作るか、何を生み出せるかが異なってくる。法律でいうと条文や判例が知識にあたり、その法を用いてどう事例を処理するかが知識の使い方だ。使い方は色々で最善はあってもひとつに定まらないことが多い。

ここで大事なのは、知識の使い方を知識のように扱い「答え」を示す本があることだ。知識の使い方をマニュアル化して答えとして掲示する本は思考を揺さぶらない。そもそも答えが分かるということと考えるということは違う。考えるとは知識を用いて、新たな知見を生み出すことなので、その使いかたをマニュアル化してそれを覚えるということを繰り返しても思考力は身につかない。

 読むときに大事なのは知識よりも考えることだ。知識は人と差別化できないし簡単に忘れてしまうが、考え方は簡単には忘れない。そして考えるときは答えを安易に求めず、考えた上で必要な知識があればそのために読んで知識を得るというのが最良であろう。

 書物ばかり乱読して、知識をたくさん得ても人の受け売りに過ぎない。考え方をたくさん覚えてもそれは自分の思想とはいえない。雑然とした知識を整理し、自身のオリジナリティーを出すには、読む前に自分がどれだけ知っているのか整理し、なんらかの答えも用意しておくべきだ。

次に物語や小説は

1 共感するため

2 安心を得るため    と考える。

物語上の人物がなぜそうしたのかなどをを考え、共感を得る。自分の知りえなかった世界にフィクションの力で踏み込み、人々はより他者に共感できるようになる。そうしたイマジネーションの力が物語にはあると思う。共感や安心は人にとって困難な面が大きいほど実現できた時には大きな快楽がある。もちろんもやもやが大きすぎると低評価になるが、自分の知らない世界への想像力をひろげるという観点から考えると、もやもやが大きいほど解消できた時に養われる想像力や快楽は大きく、面白いと人は感じる。これを繰り返し、自身が許容できるもやもやが大きくなるほど、想像力は豊かになり、人は優しくなれるだろう。

結論をいうと1,2のどちらの本も目的を考えると読む量より、考えて、想像力を駆使してじっくり読むべきと思う。すぐわかるものは答えが書いてあって自分の言葉を作り上げることができない。また忘れる速度も極めて早い。オリジナリティーが大事だという考えがあり、自分の思考を作り上げたいのであれば、仮説を持ってその検証のために読むというやり方が良いであろう。