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映画 私はダニエルブレイク

映画 私はダニエルブレイクを見た。 

あらすじは以下の通りである。

 映画は大工一筋の主人公が、心臓疾患で職をやめることになり、失業手当の受給のために役所を訪れるシーンから始まる。舞台のイギリスは緊縮財政下にあり、役所での給付手続きは民間業者による機械的な点数づけで行われていた。主人公は役所との不親切で無意味に感じるやりとりにいらだちを覚えながら、受給に向けて交渉を続ける。

同じ頃、手当の申請に訪れていたシングルマザーの若い大学生も、理不尽な手続きのうえ申請を却下され、仕事も手当もない状態で苦しんでいた。主人公はシングルマザーの女性の境遇に同情し、自らも仕事がないながらも、その女性を援助しつつ、受給に向けて行動を起こしていく。

この映画では、一生懸命に生きようと努力する人々ですら、機械的に切り捨て最低限の援助も与えない役所の姿勢を、主人公の隣人愛と対比的に描き批判していた。

役所は、ルールの下で動き、どんな例外も一切認めない。

 医師から心臓疾患で仕事を止められていている主人公でも、就労可能と認定されたために、求職活動を要求する。インターネットを知らない主人公は履歴書を配って歩くが、役所は、すべての手続きに証明書を必要とし、インターネットで求職活動を行うよう問い詰める。しかし、役所はインターネットの使い方を公平性の観点から教えないため、主人公は役所が求める求職活動はできない。

役所は間違った数値目標をたて、その目標を達成することに固執してしていた。 その結果、この映画の役所のように相手の目線に立てない対応になってしまう。本来失業手当の給付者を減らすためには、失業者に対し、職を増やして対応すべきであったのだが、即効性を重視し、求職活動の数を増やすことが目標となっていた。職自体が少ないのに、失業者へ求職活動の数を要求することは、役所も失業者も疲弊をもたらすだけである。

また効率の重視を追求する姿勢も鮮明であった。

すべてをオンライン上でおこなうことは手間の削減につながるが、そこからはじき出される人も生まれる。しかし弾きだされる人を支援することは費用対効果に合わず、行おうとしない。

役所では、圧倒的に人手が足りず、相手のことを考える余裕がない様子が描かれていた。 緊縮財政で余裕がない中で、数値目標を立て合理化を追求した結果、相手の顔が見えなくなった。

そうした状況を批判的に描くことで、監督はどんな人間でも名前を持つ人間だと、人間の尊厳を表そうとしていた。

なお、日本でも似たような事例が見られる。

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