読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Cnestのブログ

インターナショナルな家によるグローバルでアンビシャスな生活

中華料理屋のおやじと住職

ここ一週間で中華料理屋のおやじとお寺の住職と飯を食べる機会があった。

2人とも話好きで聞き役一方に回ったのだが、聞いているだけでも苦にならないような感心する話であった。2人の話を聞いて感じたのが、自分で決定権を持って仕事を回しているというプライドだ。中華屋のおやじは半世紀間一件の店を守り続けていたことに誇りを持っていたし、住職も誰にでもできる仕事かもしれないがほとんどの人がやろうとしない仕事で、人の死と向き合う大切な仕事だと誇りを持っていた。両者とも大きく仕事を拡大することができなかったと謙遜しつつも、店や寺をつぶさず、自分で裁量を持ってここまでやってきたことに自信を持っていた。中華屋は90分飲み放題6品付き1500円という破格の値段で、90分を過ぎた後もおやじの裁量で飲めたりする独特の店だ。お世話になった寺も葬式代は相手の言い値で決めるという独特のスタンスをとっていて、どちらも経営が理にかなったものとはいいがたい。だが、人と向き合ってきたことでこれまで信頼が蓄積されてきてこれまで生きてこれたのであろう。中華屋のおやじは誰にも気を遣わずはっきりものを言う点がかえって信用できるし、住職は、突然訪れた僕に、外食をふるまってくれ、ゴマ豆腐の作り方を教え、寝る場所まで提供してくれるという点で徳を感じた。

その寺では、坐禅を組ませてもらったが、住職は、無とは自分の体からこうしたいというベクトルが出ていないニュートラルな自分の原点のような状態だと教えてくれた。意識して動作をしないという点が重要で、背筋を伸ばすでもなく、丸めるでもなく、眠るでもなくはっきりするでもなく、力を抜いて、素の自分を見つめる。考え事をしてしまっても、その考え事の進む先へ身を任せてしまって、考えが切り替わるタイミングで無を感じる。こうした無になることは自分をコントロールするうえで大切なことだと思った。なぜなら、現代はニュースが氾濫していて、触れる機会も多いためつい集中力が欠けてしまい、自分自身を見失ってしまうことがあるからだ。本質的でない部分で悩んでしまったり、意味もない考え事でエネルギーを浪費してしまうので、禅を組んでフラットな自分に戻るのは大切だと感じた。時間や情報から自分を切り離した非日常な時間、それはやるべきことに追われてしまう今だからこそ、明確にやらないということを徹底できる時間だという上で、よい体験で頭がすっきりとした。

人の縁はどこでつながってくるかわからないし、何が仕事につながるかもわからない。住職と僕が知り合ったきっかけも、元をたどれば住職の妹と僕の大学の留学生のつながりからだと聞いた。 自分は意味もなく人と会うことは極力セーブしていきたい性分だが、こうしてお世話になった人や大事な人とのつながりは忘れずにしていきたい。