生活

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北海道に帰れなかった

50年に一度の大雪で北海道に帰れなかった

 

大雪に対し百戦錬磨の新千歳空港も滑走路の除雪が追いつかず、札幌行きの飛行機が次々と欠航を決めた。僕は北海道から再び韓国へ旅立つ予定があったので、除雪作業員の頑張りに想いを馳せ、ANAの頑丈さに期待し、天候に祈ったが、結局飛行機は飛び立たなかった。

当初11時発だった便は11:50分に変わり、12:50分に変わり、やっと13:20ごろようやくエンジンをふかし始めて動き始めたかと思うと離陸せず。結局一旦飛行機から降りることになった。15時ごろ再び連絡するということだったのでただただ空港の制限区域内をぶらぶら続けた。

 

サラリーマン風の男はケータイを手に取りぺこぺこ頭を下げ、おばさんは職員にいかに札幌旅行を楽しみにしていたかを力説し、中国人は大声できれていた。キャンセルして別の便に振り替えようとしても明日の席まで満席で、天候理由の欠航なので、宿泊代も出ないことが不満らしい。 年末3連休の金曜日午前の便であったので、北海道を楽しみにしていたのに、そのすべてが台無しになってしまうであろうことに苛立ちを覚えていた人も多かったのであろう、全体的にストレスフルな空気が流れていた。

 

結局15時の連絡が16時に伸び、18時に伸び、欠航の連絡が来たのは18時半であった。

自分の便は欠航の連絡が伸びたため、明後日の便まで満席になっていて、そのことに苛立つ人も現れ、キャンセルや振り替えの手続きが長蛇の列になっていることに苛立つ人もいた。しかし自分は苛立つひとがたくさんいる状況下でも、長時間待たされたことに対して、何も感じることはなかった。天候理由なのだから、あがいても仕方がなく降参するしかないのではと。こう書くと当たり前のように思えるが、実際は苛立っている空気が場を支配していて、疲れ果てた人、心配そうな人がその空気に飲まれていた。

 

人それぞれハコがあり、状況をそのハコにインプットすると、その人の資質に応じて変換され、感情の発露としてアウトプットされる、今までそう考えていた。そのハコのキャパシティに近くと、人の目に見える形として感情が表現され、キャパシティを超えると感情が他者に向かって矢印を持ってむかっていくと。

 自分は、大雪が降った→飛行機を無理に飛ばすと危ないと思う→であるから飛ばないのは仕方ない と考え、大多数の人もおなじように考えるのが当然と思っていた。

しかし、大雪が降って飛行機が飛ばなかった→朝からずっと空港のご飯しか食べていない→どうしてくれるんだ と考える人もいる。もちろん、背景として札幌にものすごく大切な用事があるだとか、東京に泊まる場所がないだとか様々な前提はあるであろうが、それでも普通天候に降参するしかないはずだ。

 そうならないのは、人間は状況を事実のまま自分のハコにインプットしてるのではなく、インプットの前段階で状況と自分の感情を混合して自分にインプットしているのであろう。であるなら、状況や思考が先に来るのではなく、感情を先にして考えるのが正しいのかもしれない。まず考える前に直感的に感情が湧いて来て、その感情に対して人の資質に応じて整理され、行動として現れる、そちらの方がモデルとしてより適切なのかなと、そんなことを考えつつ時間を過ごしていた。