Cnestのブログ

インターナショナルな家によるグローバルでアンビシャスな生活

ともだちの誕生日

この前、ともだちの誕生日を祝いました。

中国人も交え、中華パーティーだーといって、さなぎみたいな餃子と発泡酒で祝いました。

途中で、世界中から集めたビデオレターを上映しました。

 

楽しい宴の時に管理人に出て行けと怒られ解散しました。

楽しかったです。

How to respect Gay

 

授業で少しだけLGBTへの偏見問題を扱いました。

 

LGBTとはレズ、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなど自分の性の役割に違和感を覚える人の総称です。LGBTは、色々な時代の、色々な社会で差別を受けていたそうで、今も少なくとも日本社会ではカミングアウトしづらいように思います。

 

ある生徒は言います。「To solve this issue, eduction is important. We should teach how to respect them.」みたいな提言です。

 

 ここに全然悪意はないと思います。というか、それが偏見問題解決に効果的なのかもわかりません。けれど、この言葉はひっかかりました。

 

 ゲイバーに行ったことがあります。マスターは、ゲイあるある、ゲイジョークで虎視眈々と笑いをとりにきます。悩み相談も上手です。面白い人も、落ち着いた人も、優しい人もいました。気のいい人たちだなと思いました。

 

 人は他の人を色んなグループに括って考えます。それはLGBTだったり、鬱病だったり、意識高い人だったりするかもしれません。世の中の一人一人と向き合うことは出来ないので、大きなことを考えるのにそういうグループ化することは必要です。

 

ただ、すごく当然のことながら、その中にいるのは生身の人間です。あまりグループの性質に意識が向かうと、その性質のイメージが人から離れて宙に浮かんでいくような気がします。

 

少なくとも僕が一緒にお酒を飲んだゲイの人たちは、リスペクトするのにhow toを教育してもらう必要はありませんでした。Howは「こうするべき」と教えるんじゃなく、自分で考えたらいいんじゃない、というのが言いたいことです。

  

 ということで、ゲイバー行ってみたらおもしろいと思います。

 

 

 

(LGBTは、恥じるようなものではない、ことはもっと公教育で扱って然るべきだと思います)

深夜ドライブ冬の海

ろくでもない恥の多い大学生活を送ってまいりました。

 

どうせ食べきれない1.6kgのろくでもない大きさのカニカマ丼を注文し、人のいい店主にあのじじいと悪態をつきながら口に詰め込む、明日の授業のことなど微塵も考えず深夜まで酒を飲む。

 

大学生は学業が本分だ、年間学費を54万円支払い、一人暮らしに必要な費用も受取り、それを授業時間で割るといくらになるのだ?と人は問いかけます。

 

またある人はバイトをしてお金の稼ぎ方を身に着け社会経験を身につけよ、学費を自分で払うことで、お金の大切さを知った、バイトをして親を楽にさせてあげたら?と問いかけます。

 

さらに、最近ではインターンシップなるものが流行りのようで、ベンチャー企業での長期インターンまでも学生時代のうちに経験し、社会人に負けずとも劣らないビジネススキルを身に着けるものまでいます。

 

恥の多い人生を送ってまいりました。

親に電話するときは大抵金策の電話、授業はろくに出ず、バイトもろくにしないので金もなく、部屋で干からびたミイラのようにただただ横たわっているのみです。

ドライブに出かければ、速度超過で金をとられ、返却時間を守らずさらに金をとられ

時間と金を無駄にし続けてまいりました。

”学生時代にやるべきこと”を追い求めてストイックに生きてきた学生、恵まれない環境で必死に生きている学生には想像もつかないでしょう、北の果てで誰にも束縛されず、ただただ自室で横になって、活動するときは酒をのみ、一切時間に縛られることなく遊び続ける学生がいることを。

意味もなく深夜北国冬の海までドライブに行き、波打ち際で寒さにこごえ、はしゃぎ、意味もない真冬の海に意味を見出そうとすることを

 

この大地は死に最も近い場所だ

 

先住民の生きた声を感じる

 

あぁ自然にはかなわない、調和や共生という言葉では片づけられない

あぁ恐ろしい

 

 

わけのわからないことをおのおの口ずさみます。わけのわからないことを話すうちにわけのわからない方向へ精神が拡散していき真冬の夜の海に足をつかりだす奴まで現れます。

恥ずかしい大学生活を送ってきました。

それでも私は思うのです。もし社会人になりキャリアを歩む充実したサラリーマンになろうとも、フリーターとして自由にふらふらといきようとも

 

学生時代に見た、真黒な海に打ちあがる大きな波と、それを見てはしゃぐ何ももたない大学生、その情景をあたかも理想の生き方であるかのように思い出すであろうと思うのです。

浅さ

日本の未来を考えるのは重たいので、先に普段考えている「浅さ」について整理します。人と会って話すとき、私はその人を直感的に浅いなと思ってしまう瞬間があります。その浅さとはいったい何なのか、個人的に考えてみたいと思います。

 

「浅さ」とは頭の良しあしではない。

頭の良いとはここでは簡潔に学校の勉強ができると定義しておきますが、高偏差値の人と低偏差値の人の間に私が浅いと感じる相関関係はありません。よって、頭が悪い人を浅いと思っているわけではないと思います。

 

「浅さ」とは自分の好き嫌いではない。

浅いと感じる人の中でも仲良くしている人はいますし、浅いから関わりたくないとかそういうわけでもありません。嫌いな人でも一目置く人はいますし、好き嫌いでもなさそうです。

 

「浅さ」とは深堀りできていない、表面的な感覚

浅いと感じるのは、相手と自分が踏み込めていないなという時です。私はその人自身が浅いのではないかと思ってしまいましたが、むしろ会話がふわふわしている感じを「浅い」と表現していることに気づきました。これは自分の言葉を使えていない状態で、相手に必要以上に気を使いすぎているときなどに感じます。また会話の前提を共有できていないときにもこのように感じます。もう少し詳細に見てみます。

 

・相手に気を使いすぎているとき

目上の人などに必要以上に気を使っているときなどに感じます。例えば必要以上にかしこまって、何を言っても、ありがとうございましたとか大変失礼いたしましたと答えているのは逆に失礼でもないかと思います。相手がぼけたときにはつっこむ、相手に対し、真摯に思っていることをこたえるのが礼儀だと私は考えています。目上とはいえ、率直に交流したいでしょうし、なんでも参考になりますとか答えて流すのも深い関係を築けません。

なぜこのようになるのか?答えは自分に自信がないことにあると考えました。目上の人を無条件で自分よりすべてが勝っていると感じてしまう、嫌われるのがこわい、自分をさらけだすのがいやだ、すべて自分に自信を持っていないからでしょう。不安感からくるふわふわとした浅さだと思われます。

 

・論理がかみ合わないとき

自分がこの話をしようと思っているときに話がいったりきたりするときに感じます。相手の質問がバラバラでいろいろな方面に展開したりすると何を考えているのかよくわからず疲れてしまいます。

なぜ論理的でないのかは、これも頭の良しあしではなくどちらかというと、自己中心的なメンタルに起因するのではないかと感じます。

論理的とは、相手にわかりやすく伝えるよう整理するということだとして考えると、自分のしゃべりたいことを一方的にしゃべる、聞きたいことを反射的に聞くという状態が非論理的な状態です。そしてこの表現スタイルが自己中心的だと感じます。

他にも~をやりたいと唱える人がいますが、現時点で何もやっていないと~をやりたいのは本当かな?やりたいことならすぐに始めているはずなのに、やりたいという自分によっているだけなのではないかと感じてしまいます。私は、やりたいことなら結果はともあれすぐに始めているはずだという前提を有しているので、~やりたいといって実行に移していないと、一貫性がないなと思ってしまいます。

こうした、前提を共有していない会話においても浅さを感じてしまいます。

 

さて、自分が浅いなと思うこの状態は、相手から逆に浅いなと思われる状態も逆に秘めているわけです。逆に自信があって、一貫した論理がある人は、たとえ自分と意見が違っても面白い人だな、賢い人だな、と感じてしまいます。自分に自信をもつということと、論理性を身に着けることはどういう方法で身につくのかはわかりませんが、身に着けておけば役に立つでしょう。

日本の未来を考える 1

キャリアを考えるうえで日本や世界の未来がどうなっていくか気になりますね。。

 

なぜなら、今後需要が縮小していく仕事を行っても社会に対するインパクトが低く不安を抱えて生きていくことになるからです。誰の言葉かはすっかり忘れましたが、キャリア選択の際、1.やりたいこと、2.やれること、3.求められていることを考えようと唱える人がいましたが、まさにその通りで、わたしはまず求められていること,需要に応えていくことが大事だと考えるわけです。

 

ここでの需要には今目に見えている問題と、目に見えていない問題が含まれます。

目に見えている問題とは世の中にある大半の仕事で、相手が先に求めてきてそれに応えるという仕事です。目に見えていない問題とは相手が気づいていない問題に応える仕事で、社会に大きな変化をもたらす仕事です。前者は現状維持、改善が中心で、後者は創造のプロセスを担うという話なのでどちらが良いというわけではありませんが、成熟した先進国においては改善すべき問題が必然的に減少し、新たな問題を創造していかなければ、衰退していくでしょう。

現に消費者の要求に際限なくこたえていった結果、コンビニは24時間営業し、宅配便は高速で届くようになり、接客においては常に満面の笑みを浮かべるようになりました。現状に対する競争が続くと、さらに過酷な競争に巻き込まれ、いつか閾値に達するわけです。なので人が気づいていない問題に気づけることは大事です。

 

ここで新たな問題を発掘して成長を続けるために、経済産業省の資料を基に未来の世界の在り方を予想してみましょう。さらにのちにはやるであろうトレンド、そして日本の現状を照らし合わせることにより今後生まれうる需要を考えてみます。

なお2030年ごろを基準とします。

・労働代替効果(無人化)

人工知能や、ロボットによる仕事の代替で、必要な労働者の絶対量は減るでしょう。その結果、中間層の縮小が考えられます。企業に蓄えられた資本は新たな労働者ではなく、技術革新に回され、代替不可能な労働者の需要は高まるでしょう。従来の先進国では、製造業の工場労働や、農村から都市への人口移動、そして中間層に対するサービス産業において成長を実現してきましたが、これから発展していく途上国は、多くの低賃金労働力を抱えつつも、その労働力を生かせることができません。結果、失業率拡大し、中間層に対するサービス業は停滞してしまうので、経済成長の重荷につながっていきます。

 

・「差異化」による利益の偏在

社会はグローバル化により均質化が進みます。

国境や言語の壁に分断されていたものがなくなり、「差異」を生み出せるものがすべての利益を総取りするようになっていきます。スマートフォンは低価格であるため、既に発展途上国内でも普及し始めており、世界中の人々がグーグルやアマゾンにアクセスすることができます。世界共通のプラットフォームで普遍的な評価がなされることで、違いを見せられるものに人々が集中します。アメリカではすでにwinner takes allと呼ばれる現象が起きており、1パーセントの富裕層に国富が集中していきます。越境ECと呼ばれるネット市場はこれからも拡大していき、世界中のものが対等な条件で比べられ、選ばれるようになっていくことで、逆に格差は拡大していきます。

 

健康寿命の進展と人口の増大

先進国においては、健康な高齢者の数がさらに増大します。再生医療により、人の組織を根本治療できるようになったり、遺伝子治療が実現しることも考えられます。予防治療という考え方が進み、病気になる前に病気を防ぐ試みを行う風潮も生まれてきており健康寿命はどんどん延びると考えられます。また高収量の農作物の開発や畜産・養殖の効率化で食糧生産も増大していき、爆発的に増えていく発展途上国の人口を支えていくと考えられます。

 

さて、上記3点のような状況が深刻化する中生き残りをかけて新たなトレンドが生まれてきています。また日本には日本特有の状況があり、その状況を踏まえたうえで新しいトレンドにこたえていきます。

次回はテクノロジーと日本のおかれた状況を見ていきたいと思います。

 

 

あいさつ

はじめまして!

 

北海道大学法学部3年の平家勇大です!。

へーけってよんでくださいぃ

 

これから記事を、コツコツと書き溜めていこうと

思います。

 

これからよろしくお願いします!